リア充とアウトプット

リア充」とはリアルに充実した人を指す言葉で2chの大学生板やVIP辺りで最初は使われていたようだ。よく「リア充タヒね!」とか「リア充爆発しろ!」などと不満の捌け口に使われている。


さて、このリア充の対語として「非リア充」という言葉がある。人とのコミュニケーションがうまくいかないで孤立している人のことを指す。大学生板では「便所飯」という涙が無くては語れないような言葉まである。リア充を目の敵にしているのはこの「非リア充」と呼ばれている人たちかと思いきや実はそうではなかったりする。というのも、リア充、非リア充の基準は人によって様々だ。部屋の外に出た時点でリア充というような極端な例もあれば、あまり人と話さないと言った場合は非リア充、と基準が曖昧な感じがある。特に新しく出来た単語には意味の基準がはっきりと決められていないために、使う側と受け取る側でニュアンスが異なっている場合がある。


僕が持っているリア充と非リア充の基準を考えてみると、はっきりと分けている訳ではない。なんとなく孤立していれば「非リア充」みたいな感じに分けていると思う。そうすると、非リア充の定義というのはひどく不安定な意味になってしまう。例えば、いつも一人で過ごしている人を「非リア充」と読んでいたのに、ある日ふと見てみれば大勢のグループで楽しそうに話しているではないか。そうなると、怒りと悲しみと焦りを混ぜ合わせたような感情で「リア充だ!!」とレッテルをバシッと貼り付けてしまう。まさに、自分の余裕の無さが露呈している訳だが、リア充の定義、ひいては言葉の定義をしっかりと理解していないと不要な誤解を生みかねないと思う。結局のところその人はリア充なのか、非リア充なのか自分でも決められないというおかしな状況が発生する。


さらに、文章と音声、文字と音では伝わり方やニュアンスも違ってくる。電話で話すのと実際に会うのとでは全然違ってくる。相手に伝わりやすい、相手に納得してもらえる文章を書くのは意外と難しい。質と量との関係も難しい。後で読み返してみるとなんとも中身の無い文章で泣きたくなるほどだが、話すとなるとハードルはさらに上がる。そもそも、話す機会が僕にはあまりない。全く無いわけではないが、僕は話すこと、自分の声で意見を言うことから逃げていたために人と大きく差がついてしまっていると思う。難しいことはない、ただ「色々な人と会話する」ということである。至極簡単なことであるが、実際に行動するのは難しい。言うは易し、行うは難しである。